旅行記のページ(画像付き)

2001

ビッグベン
ロンドンの印象は、「外人の多い東京」といったところだった。もちろん、ネイティブ・イングシュが多かったが、他のヨーロッパ人、黒人や、チャイニーズ、日本人など様々だが、意外とアメリカ人は少なく、インド系住民が多いのが意外だった。住んでいる人が外人だという点意外は東京とあまり変わりなかったのは、同じ島国だからだろうか。黄色人種を見ると、つばをかけられる程、人種差別が強いと脅かされていたので、住民のちょっとした親切心にも感激した。ロンドンは人種のルツボで、ジャパーニーズがいても、ちっとも違和感がないのだ。地下鉄も、東京の地下鉄と同じ、食事も日本料理がないだけで、さして変わらない。ホテルも大して変わらなかった。そういう意味で、ロンドンは日本人が住むのには最適な場所だろう。



2001

テムズ川と、セントポール大聖堂
僕はロンドン郊外のユーロアクセンツという学校で、1週間英語を学んだ。その中で、出会った友達は、僕にとってかけがえのない大切な友人たちだった。彼らは僕に、人間はみんな同じなんだと悟らせてくれた。授業中にガムをくれると言って断ったら、「どんなに素晴らしい人でも、ガムを断る人とは仲良く出来ない」と言ったが、結局仲良くしてくれた、そしてHフレンドを自慢していたブラジルのジョルーディ。19歳で南米のサンサルバドルのホテルで英国人にみそめられてイギリスに渡った才色兼備のヒスパニックのマルシア。30過ぎだろうが、クラスで一番の美人のイタリア人のジョージャ。ジョージャの友達で、僕を食事に誘ってくれて、とうとう一緒に食事が出来なかった太っちょのマーチ。グループのリーダー的存在だが、母親思いの心の温かいシャイなジョージ。みんな大好き。



2001

ユーロアクセンツ・イングリッシュ・スクール
僕は海外には行ったことはあったが、ホームステイするのは初めてだった。行った当初、会社で頭に来ていたせいか、僕はやたらとつっぱっていた。ステイ先では、みんながママのことを大事にするのでやたらとたてついた。それはもうひんしゅくだった。ステイのホストより威張っていたのだから、他のステイ住人他、みんなひんしゅくだった。あせった僕は、今の自分は精神的に疲れていて、いらいらしているだけで、本心からママや、パパを嫌っている訳ではないことを説明して、何とか分かってもらった。それでもママは初日にはアジアからの訪問者に敬意を表して、何と、シンガポール料理を作ってくれた。ママは、僕が電車で迷子になって、帰りが遅くなったときでも、食事を先に食べないで、僕を待っていた。別れの日、僕がパパにさよならを言うと、彼の瞳に輝く物が溢れそうなったのを僕は見逃さなかった。パパ、ママ、僕はあなたの愛を忘れない。





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